死以外のすべての全てのゴールはスタートである。
死以外のすべての全てのゴールはスタートである。
そして、ゴールの結果はすべてスタート時の前提条件でしかなくなる。
例えば高校受験に合格することは明らかなゴールである。
しかし、それは同時に高校生活のスタートでもある。
こんなことは誰にでもわかるだろう。
そして、どの高校に入ったかというゴールの結果は、高校生活のスタートという目線で見れば、前提条件でしかない。
上で言っていることはそんな意味である。
当たり前のことだ。
ここからが重要。
高校生活をどう過ごすかということにおいては、どこの高校に入ったかという前提条件は何の意味を成すだろうか。
もちろん、どこに入ったかによってできることは変わってくる。
志望校に落ちたことで、目指していた強い部活に入れないかもしれない。
レベルの高い先生の授業を受けることが出来なくなるかもしれない。
だが、そんなことは考えても仕方がない。
意味がない。
入った以上はその高校でできることを探し、自分が情熱を注げるものを見つけるしかないだろう。
何が言いたいかというと、1つ前のゴールによって出た結果(ここで言うとどの高校に入ったかということ)を次のスタートの前提条件として受け入れることで、人は前に進んでいくんだということである。
だからどうした、といいたくなる結論だ。
みんな当たり前にやっていることだろう。なめてんのか、と。
だが、実は意外とできていない場合がある。
そう、今回話したいのは皆さん意外とコレできていないんじゃないですか、というお話である。
ゴールをゴールで終わらせる人たち
出来てないってどういうことか。
考えられるのは、ゴールをゴールでしかないと思い込み、スタートをしないパターンだ。
最初に言ったように、すべてのゴールはスタートである。
例外は「死」ただ一つだ。
なのに人はゴールの結果を受け入れることが出来ないと、そこから動かなくなってしまう。
いや、動けないものだと思ってしまう。
なんせゴールだからね。
でも、動ける。
なんせ、スタートでもあるから。
こんな言い方では意味が分からないと思うから、説明をしていく。
最初に挙げた高校受験の例で説明していくよ。
例えば、受験勉強で失敗して、志望の高校に行けなかったとする。
すると中には、自分はもうだめだとか、ことあるごとに、第一志望の大学に受かっていればなんて考えてしまう人がいるかもしれない。
もしかしたら、第一志望の高校ならこんなレベルの低い授業はしない、とか自分が何でこんなところで勉強しなきゃいけないんだとか思って周りの人を見下すかもしれない。
この状態が、今回説明したい「ゴールから進めない人」ってこと。
この人は、「自分が志望校に落ちた」というゴールから進めていない。
もう終わったと思い込み、次に進もうとしない。いや、次があると思ってもいない。
私から言わせてもらえれば、全力でやって受験に落ちたということはどうせ入っていてもその学校の授業のレベルに追いつけていなかっただろうし、落ちてよかったと思う。
それに、もうあんな悔しい思いをしたくないと失敗を糧に頑張ることもできる。
もしかしたらその学校には同じ境遇の人がいて、その人と切磋琢磨しながら大学受験を目指すこともできるかもしれない。
授業内容の足りていないところは塾に通って補うことも、youtubeなどの動画を見て勉強することもできるだろう。
自分よりレベルも低い人たちが多いなら、その人たちに教えてあげることで自分の理解を深めるのに役立ててもいい。
もちろん、その学校に入らなければできなかった経験、出会えなかった人なんてのもあるだろう。
こうしてみれば、志望校に落ちたというゴールはスタートの前提条件だといった意味がよく分かるのではないだろうか。
条件は自分の受け取り方、考え方でプラス要素にもマイナス要素にもなりうる。
だからこそ、大事なのはゴールがスタートでもあると知っていることなのではないかと思う。
生まれつきの能力・才能
生まれつきの能力や顔面、言ってみりゃコンプレックスの話もそうである。
ただのゴールだと思っている人からすれば、絶望でしかない。
生まれた瞬間にゴールして、結果が出ちゃってんだもん。
ただ、これも全部スタート。
「運動が出来ない」、「顔面の出来が悪い」は前提条件に当たる。
前提条件だから、変えようとするものではない。
前提条件は自分がいま立っているスタートはどこで、どんなものを持っているのかを把握するためのものだ。
重要なのは、前提条件を加味したうえで、じゃあどうするのかってこと。
運動が出来ないなら運動以外の得意なことを見つけるのもいいかもしれない。
現在の職業の話で言うと、運動能力が求められる仕事ってほとんどない。
だから、運動できないってことは将来に活かしづらい運動というジャンルを早々にあきらめてほかの選択肢を考えるいいきっかけかもしれない。
顔面の出来が悪ければ、その分ほかのことで補えばいい。
顔が悪いから必死に身だしなみを整え、コミュ力を鍛え、他人のコンプレックスには人一倍気を遣おうとしている人は、多分顔にかまけて努力をしないイケメンよりかっこいい。
逆にイケメンってのは、最初から何もしなくてもモテるおかげで努力をしようとは思いづらい傾向にある。
そう考えると自分が成長するためにはイケメンではない方が有利なのではないかとすら思えてくる。
でも、努力するイケメンには結局勝てないんだろうってか?
その通りだ。
イケメンてのはスタートの条件がいい。
100メートル走で足がめっちゃ速いみたいなもん。
さらに、努力してるってことは自分の強化を怠らないということ。
100メートル走で言えば、全力で走るみたいなもんだ。
君は全力で走るウサイン・ボルトに勝てると思うか?
思わないよな。
勝てないから悔しいとも思わないはずだ。
ではなぜ努力するイケメンに勝てないことを悔しがるんだ。
そんなことをするよりは自分のタイムを縮めることを優先するべきだ。
きみがやる気マックスのウサイン・ボルトと100m走で戦う必要がないのと同じように、君はイケメンとモテ度で戦う必要はない。
大きく脱線したので話を戻すが、私たちは普段ゴールだと思い込んでしまっていることを見つめ直して、スタートに変えていかなければいけないということだ。
それがコンプレックスなのか
試験の結果なのか、
失恋なのか
仕事の失敗なのか
自分に限界を感じたことなのか
なんだって、スタートだってことだ。
必要なのはそれがどんなことなのか(どんな結果なのか)を考えるところで思考を止めないこと。
その結果を前提条件としてではここから何ができるか、結果はどう利用できるのかまで考え抜き、行動することが重要なんだ。
たとえ前提条件としては絶望的、例えるならみんなよりスタート位置が後ろなのにアイテムはジャガイモしか持ってないみたいな状況だったとしてもだ。
失敗する人は手に持ったジャガイモを見た瞬間に思考を放棄し、文句を言う。
でも成功者はそこからでも成功する。
そして、成功者は後でこういう。
「私は人よりもスタート位置が後ろだったから成功できた。手にじゃがいもを持っていなかったら成功できなかった。運がよかった。」と。
実際松下幸之助はそんなようなことを言っている。(調べてみてくれ)
どちらを選ぶかはあなた次第ですよ。
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